ワヤンって何?
【インドネシアのワヤンについて】
 「ワヤン」と呼ばれる芸能には、スクリーンを前に皮製の人形を使う「ワヤン・クリ」のほかに、絵巻物の「ワヤン・ベベル」、木偶人形を使う「ワヤン・ゴレ」、歌舞伎スタイルの「ワヤン・オラン」ほか、多種の形態があります。その中でも盛んに上演されているのが「ワヤン・クリ」です。以下ここではワヤン・クリのことをワヤンと表記します。
【ワヤン・クリについて】
 ワヤンはインドネシアのジャワ島を中心に、千年以上の歴史を持つ伝統芸能です。ジャワ諸王国の宮廷で育まれ、15~16世紀頃には次第に民衆の中にまで広く普及し、インドネシアの人々の精神文化の核となりました。
 現在でもワヤンは、誕生・成人・結婚といった人生の節目や、町や村の節句などの場で、厄払いや魔よけの意味を持ち、盛んに上演されています。テレビやラジオでもしばしば放送され、人々の心を楽しませてもいます。
 ジャワ島がもっとも盛んですが、バリ島、ロンボク島などにもスタイルの少し違うワヤン・クリがあります。また有名なダランは、インドネシア中のあちらこちらへ出かけてワヤン上演をしています。

 ワヤンは「再現しようとするもの」ではありません。ストーリーの題材の多くはインドから伝わった「マハーバーラタ」や「ラーマーヤナ」から採られますが、それはあくまで大筋のみ。上演される場やその時々の社会の状況などによって、「ダラン」と呼ばれるワヤン演者が物語を構築します。あらかじめ決められたものではなく、また記録されるものでもありません。
 20世紀後半になって、録音、そして録音されたメディアの流通が始まっても、それは変わることなく続いてきました。最近になって、ダランと台本作家が分離して、ダランは台本を読みながら上演することもめずらしくはなくなりましたが、それでも最終的な上演の責任はすべてダランにあり、ひとつの台本でもダランによってどのようにもなり得るものなのです。

 現地でのワヤンの多くは、ふつう夜の9時頃にはじまり翌朝の4時頃まで、徹夜で上演されます。ですからその7時間ほどの録音テープは長距離トラックの運転手さんの恰好の旅の友になっている、という話を聞いたことがあります。また最近は時代を反映してか、夜半過ぎに終わる4時間ほどのワヤンもたびたび上演されるようになっています。
【ダランについて】
 この夜通しのワヤンの間、一灯(ブレンチョン)のもと、スクリーンの前に座るダランは、たったひとりでワヤン人形を操り、語りながら、「ガムラン」というインドネシアの民族音楽の楽団へ曲目やテンポを指示し、物語を進めます。煙草をくゆらせたり喉を湿らせたりはしますが、それ以外はずっと人形を操り、語り、歌っています。
  上演の場一切を取り仕切るダランは、一見すべてを自分の好きなように運んでいるかに見えますが、そこにはガムランの楽団とコミュニケーションをとるためのいろいろなルールが存在します。また曲を選んだり曲の進行に指示を出すためには楽曲についての深い知識と経験も必要です。優秀なダランは物語を構成したり語りが上手いこと、人形操作が巧いことはもちろん、ガムランも自由に操れなければなりません。ダランは特別な才能を持つ人として人々の尊敬を集めていますが、その裏には才能だけではない人一倍の努力が隠れていたりもするのです。
  父親がダランだとその子どもはダランになることが多いように見受けられますが、世襲制というわけではないようです。
チャキル【ワヤン人形について】
  ワヤン人形はなめした水牛の革に細かい透かし彫りをほどこし、美しく彩色します。
  伝統的な作り方では、まず革自体が透けないように下塗りを施します。こうすることで影に映る人形は色のない白黒の世界になりますが、近年では影の側に彩色が透けることまで計算したものを作る工房もあらわれるようになりました。
  人形の真ん中に通っている支えの棒と、手についている棒の多くは、どちらも水牛の角からできています。細く裂いた角をランプの熱で温め、人形の形に沿わせ器用に曲げていきます。最近では材料入手が困難なことに加え、使いやすさと耐久性を考慮して木製の棒も作られています。
【上演スタイルについて】
 ワヤンで使用するスクリーンを「クリル」と呼びます。観客はクリルの両側を行ったり来たりしながら観ることができます。
  幕の両側を同時に鑑賞できるユニークなスタイルは、ジャワ島のワヤン・クリの大きな特徴で、世界でも珍しいものです。クリルを境にして影が映し出される側では夢幻的なイメージの世界を、ダランがいる側では人形操作の技やガムラン演奏のすべてを直に見て楽しむことができます。現地ではダランの側に座る観客が圧倒的に多く、会場が狭いときなどは影の側をつぶしてしまうことさえあります。

  近代・現代になって西洋文化の影響からか影の側も注目されるようになり、影にいろいろな意味づけがされるようになりました。日本をはじめ諸外国ではワヤンを「影絵芝居」「Shadow Puppets」などと訳しています。しかし今でも現地では、観客は「ダラン側に座る」という習慣が続いています。現地の人たちはワヤン=影絵とはとらえていません。
  入手可能なメディアにもこのことはよく現れています。西洋人をはじめ外国人が制作したワヤンの映像がほとんど影側からであるのに対し、インドネシアで制作されたものはほとんどがダラン側からのもので、中には影が一度も出てこないものもあります。

  現地のワヤン会場のまわりは、食べ物やおもちゃなどの屋台が出て、縁日のような賑やかさになります。子どもも大人も観客は自分の好みの場面を心得ていて、食事をしたり、散歩をしたり、眠ったり、おしゃべりをしながら、お気に入りの場面が来るのを待っています。
  それにワヤンはとてもゆったりと進みますから、少しくらいよそ見をしていても大丈夫です。ワヤンのまわりは、このような自由で開放的な楽しさに包まれています。
【クルタクルティのワヤンについて】
 ワヤンが日本人である私たちを魅了するのはどうしてでしょう。多くの芸能は地域の持つ社会的・文化的な要素と密接に結びついています。それはもちろんワヤンも例外ではありませんが、そういったローカルなものを共有していない私たちでも、ワヤンを単なる「珍しい東アジアの芸能」という以上のものとして感じられるのはとても興味深いことです。それはきっと、ワヤンがジャワの人たちにとどまらないアジア人全体の心に訴えかけるような、グローバルな要素をも併せ持っているからにちがいありません。

  私たちは「これがワヤンだ」という考え方はしていません。ワヤンにはいろいろな要素が詰まっています。それらの中のひとつかふたつだけに注目しても、それはワヤンを構成する一部分のことを語っているにすぎないのです。
  ワヤンをワヤンたらしめているエッセンスをひとつひとつ探していくこと、そしてそれらについて私たちなりの表現方法を見つけていくこと、それがクルタクルティのワヤンです。それはまた、赤道の向こうの国インドネシアでワヤンを初めて見たときの驚きや感動、心のときめきを、多くの人たちと共有したいという願いでもあります。
このアノマン様は風よりも速く空を飛ぶことができるのだ。だがさすがに、人の思いの速さにはかなわぬか。
by アノマン
距離感は人間関係においても重要じゃ。よかれと思ってとった行動も成功するとは限らない。失敗から学んでいくしかないのだよ、めげずにな。
by コロブンドノ
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